犬猿の仲~ラスボスオカンと私~

20年かけて夫婦関係を改善!札幌在住夫婦修復カウンセラー 実佐です。

 

さて、父の話を少し書いたので今度は母の事を書こうかなと思い立ちました。

私の師匠も良く書いているように、「ラスボスオカン」問題です。

ラスボスなので根が深い問題だし、解決するのもとても難しいと感じているこの頃です。

今年私は母との冷戦状態が強化されてしまった年でもありました。

 

幼少期、まだ六畳二間のアパートに両親と私で暮らしていた頃、私は母の事が大好きでした。父が怖かったので母だけが安心できる存在で、専業主婦の母といつも一緒に過ごす日々。

毎日家の隣にある公園で遊び、夕方買い物に行くという生活だったように記憶しています。

母の趣味は読書で、よく図書館にも連れて行ってもらっていましたし、絵本を借りては読んでもらっていました。

夜になると怖い父が帰ってくるので、父が出勤してから帰宅するまでの時間が母とのんびり過ごせる蜜月の時間でした。

この生活は3歳違いの妹が生まれて、同時に父が建てた一軒家に引っ越すまでのごく短い間でした。

 

妹が生まれると状況は一転し、母を妹に取られたような感覚で日々を過ごすことになりました。

ちょっと遊んで欲しくても、何かを頼みたくても「後で」と言われて、その「後で」がかなったことはほとんどありませんでした。

今思えば仕方のない事かもしれないなと思うんです。

乳児と3歳児を同時に見るのはとても大変。衣食住を与えるのが精一杯、という精神状態なのも理解できます。

でもやっぱり寂しかったというのが本音です。

 

そんな状況なので、妹が生まれてからは父が帰宅すると私の事は主に父が見るようになります。私の事は父が、妹の事は母が見るという感じで家族内の構図が出来上がっていきました。

何がきっかけで怒り出すか分からない父との緊張を強いられる時間。

食事の時も父の隣で黙々と食べていました。母が妹の食事の世話をしているのを、羨ましく見ていた記憶があります。

 

母は無意識だけど、父の意識を私に向けることで自分に降りかかる批判や攻撃をかわしていたのだと思います。父を私に押し付けたんですね。

そして父も、娘の事は一応かわいがっていたので(怒ると怖いという条件付きですが)ちょっとは私の面倒を見ることで、母への不満を軽減させていたところがあります。

 

このくらいから、”父を怒らせないようにしよう”という事に加えて、”母には機嫌がいい時に声をかけなくてはいけない”というダブルのストレスを感じるようになっていきました。母が妹の世話や食事の支度をしているときに話しかけるとヒステリーを起こされるので、ここは注意点だったわけです。

この時点でおそらく4~5歳の私。そんなに小さい時から気を使って生きていたなんて、頑張ったなぁと思います。

 

母はもともとそんなに面倒見がいいタイプの人ではなかったようで、子供も別に好きではない人です。それなのに2人の育児をするのは精神的にきつい状態。

母自身、子供のころは転校してばかりで友達もいないという人なので、話せる友人もいない、ママ友を作るような人付き合いのスキルもない。なので友人、知人に愚痴を言い合ってストレスを発散するという事も出来なかったはずなんです。

それはそれでかわいそうな人だと今では理解できますが、子供のころの私には理解はできず。ただ寂しいし、両親に気を使う日々。

 

それは思春期まで続き、自分の心が休まるという感覚はあまりありませんでした。仲のいい友達と放課後に遊んでいるときが唯一自分らしくいられる時だったのだと思います。

 

そして母は無価値観の塊のような人で、自分の事が認められない、大事に出来ない人。だから私に対しても批判ばかりするような人でした。

褒められたという記憶はないですし、別の誰かと比べて「もっとこうしなさい」と嫌味ばかり言ってくるのにほとほと疲れた私は思春期には母の事が嫌いになっていました。

母にとっては、私は人に自慢の出来る娘でなければいる意味がないというくらいのアクセサリーでしかなく、無償の愛を注ぐに値しないんだという感覚は今も私の中にあって、私の心に影を差します。

そう、私が欲しかったのは、母の無償の愛。

でも、おそらくもう得る事はないのだと思います。

 

思春期から何十年も経ち、その間も母との葛藤は色んな局面で私の前に立ちはだかり、都度悩んできました。

寄り添うためにもかなり努力をしましたが、あまり変化は見られません。

 

夫婦関係に悩んでいた数年前、私は夫への執着と一緒に、父への執着を手放す作業に取り組んでいました。父には父なりの愛し方があって、私の事を思ってくれていたという事をその時少しだけ理解したのですが、同時に湧いてきたのは母への怒りでした。

「あの人は子供の私を父から守ってはくれなかった」というとてつもない怒り。

 

自分が母親になって、子育てでも悩んだからこそ母への怒りは増幅し、私の中で大きな部分を占めるようになりました。

いつかは母への気持ちを整理しなくてはと思っていて、今年母との関係が悪くなった少し後に手放す努力をしてみました。

結果はあまりうまく行かずでした。

もしかすると、もうどうでも良くなっていて手放す作業が無意味になっているのかもしれません。

 

母からただ愛されたかった私。

でも、自分はもういい大人なので、母からの愛を受け取ることが出来なくてもいいかなと思い始めています。

 

自分の事は自分で認め、愛してあげる。

幸いありがたいことに家族もいるし、自分の意識は家族に向けてこれからは過ごそうと思っています。

 

母の名誉のために書きますと、母にも私に対する愛はありました。

帰省する際に料理をしてくれたり、私の子供たちを可愛がってくれたりと愛を感じたこともちゃんとあります。

でも難しいのが母と子の関係なのかもしれません。

 

*

年の瀬に暗い話を書いてしまいました。

実は正月に実家に行くのが少し怖い私です。

だからこんなことを書いているのかも。。

今年はカウンセリングの勉強を始めることが出来て、私にとっては大きく良い変化があった年でした。

来年は成長を実感できる素敵な年にしたいと思っています。

皆様も良いお年をお迎え下さい。

 

読んでいただきありがとうございました。

またお会いできると嬉しいです。

心理カウンセラーの実佐でした。