20年かけて夫婦関係を改善!札幌在住・夫婦修復カウンセラー 実佐(みさ)です。
昨年、父方の祖母の話を書いたので、今年は母方の祖母(私のラスボスのラスボス笑)の話を書こうと思います。
父方の祖母の話はこちら↓
自分のルーツを思うと自分の存在って大切だと思えます~お盆なので祖母を思い出してみる日~ - 実佐 心理カウンセラーのブログ
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祖母は物静かで優しく、お盆やお正月に会うと孫にお小遣いをくれたり、泊りがけで遊びに行くとたくさんの料理で私たち孫をもてなしてくれる人でした。
一軒家のお庭に畑を作り、トマトやキュウリ、ナスなどたくさんの野菜を植えて育てていて、私たち孫は夏にはその畑に出て育っている野菜を眺めたり、作物に触らないようにして走り回って遊んだりしていました。
夏休みと冬休みには泊りがけで遊びに行っていたのですが、よくトランプをして遊んでくれました。
「ボケぼうしになるから」と神経衰弱や七並べ、ババ抜き、ページワンなど祖母に相手をしてもらうのがとても楽しみでした。
私が小学生くらいまでは、年に1~2度くらいの割合で、末娘である私の母の家にも泊まりに来てくれました。
いつもお菓子やその時人気のぬいぐるみ・おもちゃなんかをお土産に買ってきてくれて、とても嬉しかったのを覚えています。
(私が小学生の時に流行ったラッコのぬいぐるみは今でも大切に持っています)
祖父は私が生まれる少し前に亡くなっているので、二人がどんな夫婦だったのかや結婚した経緯はわかりません。
でも、戦中から戦後にかけて5人の子供を産み、転勤の多い祖父について歩くのはさぞかし大変だっただろうと思います。
末娘である私の母が社会人になった後に一軒家を建てて祖父と暮らしていたようです。
祖母は高齢になったときに伯父夫婦が隣に家を建てるまで一人暮らしをしていました。
祖父が亡くなった老後、趣味で大正琴や油絵を習いに行って趣味を楽しんでいる様子を見ると、「おばあちゃんは一人暮らしを楽しんでいるんだな」と思えて安心したのを覚えています。
寂しい時があったのかもしれませんが、そんな素振りは見せない人でした。
母方のお墓にはなかなかいけないのですが、自宅で手を合わせてお祈りしようと思います。
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読んでいただきありがとうございました。
実佐でした。