20年かけて夫婦関係を改善!札幌在住・夫婦修復カウンセラー 実佐です。
私の結婚生活のお話第2弾です。
結婚3年ほどで、2人目の妊娠が分かりました。
第1子がちょうどイヤイヤ期のころで、育児がぐっと大変になってきたころの妊娠判明。
そして夫の協力は期待できない。
正直私はこの時も出産するかどうか悩みました。
そもそも悩むなんてどうかしているというご意見もあるかも知れません。
結婚していて、一人目が少し大きくなった頃の第2子妊娠というのは世間一般で言うと普通の流れなのだと思います。迷うなんてありえないというのも当然かもしれません。
でもやっぱり自身がなく、一人でも大変なのに二人になったらどうなってしまうのか、想像が出来ませんでした。
産科での妊娠判明後に数日悩んだ挙句、結局私は出産することを選びました。
一人目の子に兄弟姉妹を作ってあげたいという気持ちもありましたし、自分の都合で赤ちゃんを諦めるという選択は一人目の時と同じ気持ちで、自分勝手なようでできませんでした。
そんな不安の多い中の第2子出産。
予想通り、産後の育児では大変な思いをしました。
夫は当時、昼過ぎから深夜にかけての仕事をしており、普段子供の面倒を見るという事はほぼ不可能。
ご飯を食べさせるのも、お風呂に入れるのも、寝かしつけもすべて一人でこなす日々。
夫は休みの日もいつもの生活のリズムがあるので寝ていることが多く、頼ることができませんでした。
そして、少しでも子供とかかわってほしい私と、仕事を頑張ってお金を稼ぐことが優先だと考えている夫ではニーズが合っていない状態でした。
実際この頃から夫のハードワークに拍車がかかり、私が責め立てるほどに仕事にのめりこんでいきました。夫は二人目が生まれたことで、さらに仕事を頑張ってお金を稼ぐのが父親の責任と思っていたのだと思います。
そして実際、夫が残業代が稼げないと家計も苦しい状況でした。
そんな状況が続き、私は家計の為、そして子育てのストレスから子供と離れる時間が欲しくて、下の子が少し大きくなった頃にパートで働き始めました。
当時の私は、何のキャリアもない自分を恥じていて、とにかく働きたいという気持ちがありました。
そして、夫が頼りにならないなら一緒にいる意味もないという考えが頭の中に充満するようになっていったのも働こうと思った理由になりました。いつか離婚してもいいように、自分の稼ぎで生活できるようになるために、少しでも働かなければと思っていました。
そこからは、パートと家事育児の両立の日々。
子供を保育園に預けて週4~5日で働き、夕方迎えに行って子供の面倒と家事をこなして寝るという毎日。
体力的にはきつかったものの、精神的には子供と離れる時間が出来て、少しほっとしたところもありました。一日中子供と一緒にいるのは私にとってはストレスが大きく、少し外に出て人と接することが出来るのは救いになりました。
忙しくてぐったりしていたので、仕事が休みの日は子供と一緒にお昼寝をしないと体がもたない状況にはなりましたが、まだ若かったので何とかこなしていきました。
この頃の精神状態は、
家で子供と向き合う時間が長いとストレス
→パートに出る
→仕事と家事育児でヘトヘト
→なのに夫は頼れない
→イライラする
→怒りを夫にぶつける
→怒りで返される
→絶望から離婚を考える
という構図でした。
そんな状態なので、2~3年に一度は離婚するだのしないだのという夫婦喧嘩を繰り返していました。
子供が大きくなったら別れる、という事を目標に安定した仕事を求めて何度か転職したり、良い条件で離婚するためにはどうしたらいいのか調べたりもしていました。
喧嘩した際には「子供が大きくなったらあなたとは別れるからそのつもりでいて」と言い放ったこともありました。
今考えると随分ひどい話です。
ただ、辛い気持ちは確かでしたし、寄り添ってもらえないという悲しみもありました。
今考えると自分の気持ちの伝え方が悪かっただけなのですが、どうしていいのかも分からない状況でした。そしてそう思ううちに、そもそもこの結婚が間違いだった、結婚するべきではなかったと思うようになりました。
そして結婚しなければならなくなったのは夫のせいだと夫を悪者にすることで自分の精神状態を保とうとしていました。
結婚を決めた時は、絶対に幸せになる、いい夫婦になってみせると誓ったはずだったのに。
そして、私がカウンセリングと出会う最初のきっかけがやってきます。
結婚から12~13年が経っていました。
その頃、本当に夫の事が許せなくなり、私が一方的に無視する形で、顔をみても口も利かない、最低限の話しかしないという状況にありました。
この頃の私は夫婦関係において相当依存していて、すべてが夫のせい、夫が悪いと思っていました。
夫が私を辛い気持ちにさせているのに、夫が私を苦しめているのにと、自分が正しいという主張を誰かに認めて欲しくて、初めて住んでいる市の女性支援窓口の電話相談をうけました。
私は数十分にわたり、夫の事が許せない、納得できないと夫への怒りを話していました。
するとあるタイミングでカウンセラーの方が
「実佐さんもご主人も、お互いに相手に対して感謝がない。尊敬されていないと思っている状態なんですね」と仰いました。
この言葉で私はふと我に返ったと思います。
夫婦でお互いに同じ思いを抱いていることに気づいたんです。
一方的に相手が悪いと思っていた私にとってこれは大きな発見でした。
そしてその60分ほどのカウンセリングの最後の最後に、
結婚することになったのは夫のせいだ、結婚するという判断を私にゆだねた夫の事がずっと許せない!と思っていた私が受話器に向かって泣きながら言った言葉はこうでした。
「私は自分の事が一番許せないです」
学校生活を真面目に送っていなかった事、妊娠してしまったこと、結婚するかどうかをグズグズと悩み流されるように結婚を決めたこと。
すべて自分が招いた事であり、それが自分を苦しめていたと気付きました。
あの時、受話器をもって床に突っ伏して泣きながら、私はこの世で自分の事を一番許せず、嫌っている事に気づきました。
結婚生活において許せないのは夫だと思っていたのに、自分が一番許せなかったんです。
そのことに気づいて良かった、この出来事が自分と向き合う第一歩になったと今では思っています。
自分を許せない自分に気づいた私は、夫婦問題と同時に、自分自身を肯定できないという事に苦しむようになりました。
ここから、自己嫌悪と自己否定を今まで以上にやめられない自分になっていきます。
読んでいただきありがとうございました。
またお会いできると嬉しいです。
心理カウンセラーの実佐でした。
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